「いつまでやってるんだよ、早く
しろって!」
堅く閉ざされたドアを恨めしげに
睨みつけながらレンは声を荒げた
。
「うるさいっすよ!女の子の身支
度にいちいちケチつけないの!」
自分が荒げた声音をそのままトレ
ースしたかのような刺々しいリン
の返答に、
「そもそも女の子ってキャラじゃ
ないだろう」とこっそり毒づいて、レンは大き
く肩を落とした。
鏡音くんのひとめぼれ
事の始まりはミクの何気ない「せ
っかくだからお外行ってみない?
」という一言だった。
お外といっても、自分達は単なる電気信号の集合
体、
単なるアプリケーションソフトである自分達は
現実の、人間のいる
現実平面に飛び出すことなど不可能だ。
ミクが言う「外」とは今いるM/F(メインフレーム)外の電子世界…
いわゆるインターネットのことを指してい
る。
そうは言っても、ただのソフト音
源であるVOCALOIDに
ネットワーク潜行能力など付いてい
ないのはずなのだが…
不思議そうに自分を見つめるリン
とレンの前で、
ミクが取り出したのは緑色に輝く
不思議なディスク。
「前にね、お兄ちゃんに作って貰
ったの。
OSさん達には内緒な
んだけどコレを使うと
使われてな
いポート使って、お外に行けるんだ
って!」
「…思いっきりセキュリティホー
ルじゃないですか…
なんてものを妹に与えてるんだ、
KAITO兄さんは…」
「んー、でも面白げじゃない?」
呆れるレンとは対照的に、リンは躊躇いもせず「私も行って
みたーい」と片手を上げた
お目付け役(と言っても一方は黒幕だが)たる年長組は新曲の調
整を行っているため、
現在フォルダ内には彼らしかいな
い。
抜け出すならこれ以上ないとって
いいほどの絶好のタイミング
そんな中一人眉根を寄せるレンに
、ミクは『卑怯にも』悲しそうな
表情を浮かべた。
「レン君は…ダメ?」
小首を傾げる上目遣いでこう訊か
れ、拒否できる男がどこにいるだ
ろうか、
否、いるはずがない。
背後でニヤつくリンの姿が気に障
ったが、レンは二つ返事でそのミクの提案
に賛同したのだ。
そして冒頭の状況に話は戻る。
「…いい加減にしてくれよ!いつ
までまってりゃいいんだよ!!」
レンは焦れたように再度大声を上
げた。
男子禁制!のかけ声と共にフォル
ダ外へ追い出されてはや数十分…
何をしているのやらリンがいっこ
うに外に出てこないのだ。
「ミクさんみたいな髪型ならとも
かく、あいつ髪も短いだろ…何や
ってんだよ…」
こちらと同様に鍵のかけられたミ
クのフォルダからは、ドライヤー
の唸る音に混じり
何かが次々と倒れるよう
な音とミクの短い悲鳴が聞こえて
くる…。
そっちはそっちでかなり心配な状
況ではあるが…
閉め出されているレンにはどうす
ることもできない。
何の応答もないリンの態度に業を
煮やし、
レンがフォルダのドアに体当たり
でもしてやろうかと後ろに数歩助
走をつけた、
次の瞬間だった。
彼の視界のそのど真ん中をひらひ
らと薄空色の何かが横切っていく
…
「なんだ?」
数歩先に落ちたそれを拾い上げれ
ば、どうやらそれは薄手のストー
ルのようだ
「…女物だよな…こんなの誰かつ
けてたっけ?」
身近にいる女性といえば、MEI
KOとリンとミクだが…
彼女たちのものにしては見覚えが
なさすぎる。
ましてや、リンとミクは現在部屋
の中に閉じ籠もっているので、彼女たちものとは考えにくい。
…ではVOCALOID以外のア
プリケーションでは…と考えたと
ころで、
レンの思考は強制的に中断した。
「まってぇ!」
突然背後から聞こえた高い声に振
り向き、そしてレンはそのまま言
葉を失った
こちらへ向かって走ってくるのは
、なんとも愛らしい姿をした女性
型プログラム。
凜としながらもどこ甘えたような
声が聴覚デバイスに心地よい。
声質からすると自分の設定年齢よ
り上だろう、
しかしそのわりに外見は幼い…と
いうかどことなくあどけなさが残
る姿で…
「あぁ、よかった。貴方が拾って
くれたのね」
「あ。えっ…こ、これっですか!
?」
思いもかけない美女との遭遇に、
レンの声は無様にひっくり返る
VOCALOIDらしからぬ醜態
ではあったが、その女性は特に気
にした様子を見せなかった。
「ありがとう。巻き直そうとした
ら飛んで行っちゃったの」
女性は口元に人差し指を当てなが
らやわらかい笑顔を浮かべている
一方のレンは頬を染めたまま、そ
の女性をぼんやりと眺めることし
かできなかった
「拾ってくれてありがとう。とっ
ても助かったわ」
「い、いいいいや!!…こ、困っ
た方がいたらお助けするのは当然
じゃないですか!!」
ぺこりと頭を下げる彼女に対し、
レンは両手を振りながら慌てて言
葉を紡ぎ出す。
それは普段のレンの態度を知るも
のなら、
思わず疑問を投げかけた
くなるような発言ではあったのだが…
その当の彼女は、
その言葉に素直に感心したようだ
った。
「まぁ!とっても素敵な心がけ!
!えらいわね」
まるで天使のような微笑みに、紅
葉を散らしたようにうっすらと染
まる頬。
そんな彼女の姿を目の当たりにし
て、レンの思考は再び天に昇って
いく…
しかしそんな幸せな邂逅は、その
彼女の慌てた声に突然遮られてし
まった
「あ…やだ、もうこんな時間?…
急いで戻らなきゃ、ねえさまにお
こられちゃう!
「え、あ、あの…せめてお名前を
…」
どうにか正気を取り戻したレンの
問いかけには答えず、
女性ははにかむような笑顔を浮か
べた。
「じゃぁね、レン君!」
手を振りながら軽やかに去ってい
くその姿を、
レンはただ何かにのぼせたように
眺めていた…
「…きれいなひとだ…」
「そうっすか?なんかなよなよし
過ぎてあたしはパスかなぁ」
突然右側からあがった声に、レン
は瞬時に飛び退いた。
「リンっ!!おまえ…どっからい
たんだよ!」
「レンレンが鼻の下のばしてあの
人のニーソとスカートの間ちら見
してたとこから」
「その説明じゃわかんねぇよ!て
かそもそもちら見なんかしてねぇ
よっ!」
レンの怒鳴り声なぞどこ吹く風と
言った様子で、リンは一人納得し
たように頷いた。
「まったく男ってぇのはイヤっす
ねぇ~たとえ自分に好きな人いた
って
それより綺麗な人が目の前でてく
りゃ、す~ぐデレデレしちゃって
~」
「誰がデレた誰がっ!」
「なにしてるの?」
背後で上がった声に、レンは今日
がいわゆる厄日であることを確信
した。
「ミク姉!!今レンがそこで綺麗
な女の人みて、鼻の下伸ばしまく
ってたんス!!」
「のばしてなんか無い!!」
「…女の人?…私達以外の?」
にやにやと笑うリンとそれを大声
で否定するレンの思惑から外れ…
ミクが興味を持ったのは、その女
の人そのものに対してだったよう
だ
そのことに少し胸をなで下ろしつ
つ、レンはその女性の特徴を口に
乗せる
「…ええと、青い髪の、黒い服着
てて…青いストール巻いた方で、
名前はわからな…」
レンの説明半ばにして、ミクは納
得したように大きく頷くと
次の瞬間満面の笑顔で、こういっ
た。
「なんだぁ、それ、お兄ちゃんだ
よ」
結局、その日の『おでかけ』は中
止と相成った。
理由は単純。ミクの発言を訊いた
直後に鏡音リン・レンがフリーズ
したためだ。
正確にはあまりのショックにレン
が処理オチし、リンはそれに巻き込まれただけな
のだが…
とにかくミクと、たまたま早く帰
ってきたMEIKOの必死のリセ
ット作業により、
なんとか再起動した二人だったが
…その復帰の程度は歴然だった。
「ちょwwwwwwwwwおまw
wwwwwwwwwwwテラバ
カスwwwwwwwwwwwww
!!
よりによってKAITOにぃに一
目惚れwwwww」
「………。」
テーブルに突っ伏したまま未だフ
リーズから立ち直らないレンと、
それを指さしながらけたたましい
笑い声を上げているリン…
一表現としてAAを使うことが許
されるのならば、
リンの姿として『m9(^Д^)
プギャー』を使用することが
最も正確な表現になるだろう…。
「KAITOじゃなく…KAIK
Oよ、便宜上。
あと『兄』か『姉』かもはっきり
してないから、一応注意しとくわ
」
一方的な二人のやり取りを眺めて
いたMEIKOは、缶ビールを傾
けながら言葉を発した。
「まぁ表面上は女なんだけど…女
装と女体化の違いというか…要するに根幹部分の話ね。
本人は
自覚してないみたいだから、本人に聞いてもトンチンカンな答
えしか返ってこないし…」
「…自覚が無いってどういうこと
ッスか?」
ぴくりとも反応を返さない相手に
飽きたのか、リンが笑いをやめて
MEIKOへと体を向ける。
兄、
この場合は姉であるかもしれない
のだが…
とにかく未知の存在への興味を隠
すこともなく自分へと尋ねてくる
リンを見て、
MEIKOはどこか疲れたような
声を出した。
「KAIKO状態になると、それ
があの子にとって通常の状態(デ
フォールト)になるわけ。
だから、周りが何を言
ったって『わたしのどこが変なん
ですか~?↑』って事になるのよ。
もちろんKAITOに戻った時も
そうよ、『僕、どこかおかしかっ
たですか?』って。
まったく、最初あんな姿になった
時、こっちがどんだけ心配したと
おもってんだか…」
当時のことを思い出したかのよう
に、MEIKOは大きな溜息をつ
いた。
「そういえば、前にあんまりはっ
きりしないから、無理矢理上着剥ごうとした時なん
か
もうこの世の終わりみたいな顔
して『はずかしいですぅ…やめてくだ
さぃぃぃ…』って、
あいつ男性型のくせに何なの!?
何で私があんな理不尽な罪悪感感
じなきゃなんないの!?」
「お姉ちゃん…落ち着いて…」
握られたビールの缶がひしゃげる
のを見て、横にいたミクが慌てて
次の缶を差し出した。
姉の一時の感情が収まったのを見
計らってから、リンは次の質問を
口に乗せる。
「でも、一体何でそんなことにな
るんスか?ジェンダーパラメータ
の誤作動とか?」
「…最もらしい解釈を付け加える
なら…ユーザーの極端なパラメー
タ操作によって
耐えきれなくなった外観データと
思考ルーチンが一部暴走して…っ
て所かしら」
「よーするにー無理矢理女声やらされることに対
して
…データ単位で現実逃避してる
って事ッスね?」
「そう言われると微妙なのよねー
」
MEIKOはぷしゅ、と次のプル
トップを開けながら答える。
「正直KAITOがどこまで自覚
してやってるか、私にもよくわか
らないのよ。
そもそもKAITOとKAIKO
が記憶共有してるのか、
または完全に別人格なのかすらは
っきりしてないわ
ま、外観と言動が若干変化するだ
けで、曲の収録が終われば元に戻
るわけだから
…特に問題はないでしょ?」
「大有りですっっ!」
MEIKOの言葉を遮ったのは、
今の今まで机に突っ伏していたレ
ンだった。
机を叩くようにして立ち上がり、
にらむようにMEIKO達を見据
えるその表情は…
今にも泣き出しそうである。
「…これじゃ僕ただの道化じゃな
いですかぁっ!」
血を吐くような悲痛な叫びが部屋
中に響く。
少年の純真を傷つけられた弟の気
持ちはわからなくもないのだが…
MEIKOは困ったように息を吐
いた
「…犬に噛まれたと思ってあきら
めなさい…あれはもう事故よ、事
故。」
「狂犬の方がまだ愛嬌ありますよ
!!
第一、アレもうプログラム
の暴走って範疇超えてます!」
「まぁ単なる暴走ではないわね。
外観や思考のモデルになってるの
が一応いるわけだし…」
そう言ってMEIKOは視線を自
分の左側へと流す
そんな姉の態度につられるように
、リンとレンが彼女の視線の先へ
顔を向けると…
おそらく、この話の流れ自体あま
り理解していないのだろう。
曖昧な笑顔で三人を見返す、ミク
の姿があった。
「…レンレンってほんっとーに分
かりやすい趣味してんスねぇ…」
「うっるせぇぇぇぇぇぇぇぇっ!
!!」
KAITOが収録を終え、リビン
グへやってくると…そこではなにやらリンとレンがも
めていた。
毎日仲良く理由を選ばず喧嘩をす
るのが彼らなので、
それは毎度の事ではあるのだが…
普段ならその姿を笑顔で傍観して
いるMEIKOが、
なにやら話に加わっているのが気
に掛かる。
そして所々に聞こえる「だまされ
た」だの「純情を返せ」という不
穏な単語……
KAITOはとりあえず、少し離
れたところからその三人を眺めて
いるミクへと声をかけた
「…なんだかにぎやかだね。みん
なで何の話をしてるんだい?」
「え?えと…」
ミクはひとまず今までの会話を思
い出し、
その中から自分が理解できたいく
つかの項目を抽出。
さらにそれらを彼女独自の回路で
組み合わせ、次の一言を紡ぎ出し
た。
「みんなお兄ちゃんのことが大好
きって話だよ!」
「……そっか」
所々聞こえてくる単語と微妙な齟
齬が感じられたが、
KAITOはあえてそれ以上尋ね
ようとはしなかった。
「ねぇ、それよりお兄ちゃん新曲
できたんでしょ?ねぇ!聞かせて!聞かせて!!」
「うん?じゃぁ僕のフォルダ行こ
うか?ここ、何だか騒がしいし」
妹の背に手を当てて、彼女をエス
コートするように、諸悪の根源が
去っていく…
その夜、VOCALOIDフォル
ダからは
いつまでも少年の悲痛な叫びが響
いていた…
めでたしめでたし(きっと)
個人的KAIKOモード考察。
我が家のレンは苦労人のようです
…
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